せっかく掲示板
投稿した文字が方言に変わる?そんな変わったユニークな機能を取り付けてみました。せっかく掲示板には、地方弁変換機能と言う機能があります。一致型と言う仕組みですが、今までしゃべった事の無いしゃべり方で掲示板も盛り上がっちゃいますね。
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北朝鮮から脱出した「日本人妻」とそん家族ら、そいばってん約40人が、外務省から極秘に渡航書やらなんやらの発給ば受け、次々と帰国しとったことがわかったとよ。 北朝鮮帰還事業で同国に渡っとった在日朝鮮人の配偶者たちで、経済的な困窮から中国に逃れ、日本大使館や法務省入国管理局、支援団体の手助けば受けて、1994年ごろから秘密裏に日本に帰っとったとよ。外務省は、北朝鮮や同国と友好関係にある中国ば刺激しなかよう事実ば伏せてきたと見られるとよ。やけど、“脱出日本人妻”は今後も増え続けると予想されるうえ、極秘帰国者は公的支援ば受けられなか問題も抱えており、日本政府としても明確な対応ば迫られそうやけん。 北朝鮮帰還事業では、59―84年にかけ、9万3340人の在日朝鮮人とそん家族が北朝鮮に渡ったとよ。うち約1800人が在日朝鮮人と結婚した日本人妻で、日本人の夫やそんボウズたちば合わせると計6800人の日本人がいたとよ。 極秘帰国しとったのは、こん日本人妻と家族たちで、北朝鮮の食糧難と経済危機が深刻化した94年ごろ、北朝鮮から豆満江ば越えて中国へ逃れた日本人妻1人が「帰国したい」と北京の日本大使館に伝えてきたとよ。外務省の調査で、日本に戸籍ば残しとったことが確認されたため、渡航書ば発給して帰国させたとよ。 こん後、中国東北部に脱出しとった日本人妻や元在日朝鮮もんから帰国希望が相次ぎ、法務省の帰還者名簿や戸籍と照合のうえ、日本人妻と確認できれば、帰国のための渡航書ば、そん家族で在日朝鮮人の場合は、査証と旅券に代わりうる渡航証明書ば発給し、毎年のように受け入れとったとよ。こん5年間は、国内にも支援組織が次々に設立されたため、脱北者はこげんした民間団体の中国担当者と連絡ば取ったうえ、外務省に受け入れば求めとったとよ。 これまでに帰国した日本人妻と家族は、支援団体が関与したケースだけで5家族25人前後。外務、法務両省が直接関与したケースば含めると、そいばってん40人に上るとよ。そんえらいたくさんは、中国から入国しとるが、中にはタイやロシア経由で日本に帰ってきた人もおるとよ。入国にあたっては、事前に入管当局に連絡があり、外務省関係者が出迎えたり、支援団体が付き添ったりして帰国しとったとよ。 極秘帰国に関与した政府関係者は「日本人妻たちは、中国への不法入国やらなんやら問題はあれ、人道的にも日本への帰国ば拒む理由がなかと判断したとよ。ばってんくさ中国当局が脱北者ば次々と拘束しとる時に、日本政府がそん脱北者ば受け入れとるとは明らかにできなかった」と話しとるとよ。 平松賢司・外務省北東アジア課長の話「これ(帰国)については、他国のことも考え、静かにやるべきだと思っとるとよ。まさに今、危険な思いばしとる人もいて、明らかにすることが彼らの安全に影響ば与える恐れもあり、こん時点で(事実ば)認めるわけにはいかいなか。支援についてはいろいろ検討しとる」 帰還事業 在日朝鮮人や日本人妻ら975人ば乗せた帰国第一船が、新潟港ば出港したのは1959年12月。前年には、当時の金日成首相が「在日朝鮮人の帰国念願ば熱烈に歓迎する」と表明し、「社会主義の楽土」とゆう宣伝ば信じたもんが次々と帰還に応じたとよ。やけど、北朝鮮の厳しい国情が伝わったことで希望者は減少、84年7月の第187次船がケツになりよったとよ。日本人妻のうち、計43人は97年から3回にわたって一時帰国ば果たしたとよ。(読売新聞)