[6347]純文学の終焉 |
投稿者:輩
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投稿日:2011年11月02日 (水) 17時17分
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純文学は 我々は大衆を楽しませて消費されていく大衆小説や携帯小説やライトノベルとは違うのだよお前ら文学じゃないよと 選民思想で陶酔に至ることで辛気臭い話を美と強弁して正当化を計り メディアの宣伝と過去の栄光でなんとか教養の位置づけにしがみついているようであるが その様は歪極まりないと思われる。 現存する世界最古の文学は古代メソポタミアで生まれたギルガメシュ叙事詩とされている。 そして叙事詩という文化は古代の人々を楽しませてきたのである。 純文学は大衆を楽しませることを放棄することを胡散臭い話を美にこじつける方便としているようであるが 文学はそもそも人を楽しませる物語だったはずではないか? 純文学はまた書かれた文章に病的執着をもって他の言語表現を拒絶する。 ゲームやアニメは文章でないから、あるいは文章だけではないから文学でじゃないよとばっさり切り捨てる。 しかし文学は元々書かれた文章ではなく口頭伝承ではなかったか? そして言語以外の表現を含む演劇の言語表現はちゃんと戯曲として文学とみなされる。 ただゲームやアニメを排除する口実としてしかこの理屈は使われていないのである。 純文学にこのまま文学の称号を与えておくことははたして正しいことだろうか? 本当に現在、純文学は言語表現の美を追求しているのだろうか? 「体は剣で出来ている」 オタク文化に一定以上の関心を持っている、言わば現代において本来的な意味で先見の明と教養のある人であれば これは直ちにFateの一節であるとわかるであろう。 5年前の芥川賞作品の一節をありありと思い出せる方はどれだけいるだろうか? 言語表現の美と言っておきながら、現代の純文学は、本当に、人の心に残る言葉を生み出せているだろうか? 否、言語表現の舞台は既に新しい文化へと移っているのである。 純文学などは、オワコン小説とでも改名してさっさと滅ぼすべきであり 時代に即した新しい文化が文学の名を受け継いでいくべきであろう。 ただの廃れた文化なら、蓼食う虫も好き好きといったところであるが 残された権威が現代日本のゲーム、漫画、アニメなどを正しく評価する土壌を奪っていることに大きな問題がある。 |
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[6346]てst |
投稿者:てst
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投稿日:2011年11月01日 (火) 14時15分
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ふぇさ |
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[6344]あああ |
投稿者:せっかく掲示板
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投稿日:2011年10月17日 (月) 09時49分
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あああああ |
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[6340]あああ |
投稿者:せっかく掲示板
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投稿日:2011年10月09日 (日) 13時37分
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あああ |
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[6339]あああああ |
投稿者:あああああ
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投稿日:2011年10月03日 (月) 09時58分
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ああ |
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[6338]テスト1 |
投稿者:ああ
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投稿日:2011年10月02日 (日) 15時22分
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テスト2 |
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[6337]テスト |
投稿者:ああ
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投稿日:2011年10月02日 (日) 15時22分
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テスト |
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[6336]ああ |
投稿者:ああ
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投稿日:2011年10月02日 (日) 15時21分
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ああ |
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